2025年6月23日

【対談】伝説の漫画家・ゆでたまご嶋田隆司さん✕骨切りのエキスパート羽田先生「60代での柔術復帰を支えた、信頼のタッグ」

67歳 男性

※以下は個人の感想であり、手術の効果を保証するものではありません。回復の進み具合、回復の程度には個人差があります。

漫画『キン肉マン』の原作者として知られる、ゆでたまご・嶋田隆司先生。 趣味である柔術を続けたいという想いを持っていた嶋田先生ですが、ある日、膝の痛みをきっかけに病院を受診し「人工関節になるかもしれない」と診断されました。 主治医の羽田先生に提案されたのは「人工関節にするか」「高位脛骨骨切り術を受けるか」という選択肢でした。不安を抱えながらも手術に踏み切った嶋田先生が、どのようにして回復し、柔術に復帰するまでに至ったのか。主治医の羽田先生との対談を通して、その経緯を振り返ります。

プロフィール

【ゆでたまご 嶋田先生 PROFILE】
1958年、大阪府生まれ。中学時代の同級生・中井義則氏とコンビを組み「ゆでたまご」名義で漫画制作をスタート。1979年『キン肉マン』でプロデビュー。個性的な超人たちが繰り広げる熱いバトルと友情の物語で、社会現象ともいえるブームを巻き起こした。現在も『キン肉マン』は「週刊プレイボーイ」(集英社)にて好評連載中。世代を超えて多くの読者に支持され続けている。

 

【羽田 晋之介 先生 PROFILE】
1983年、東京都生まれ。東邦大学医学部を卒業後、整形外科医としてキャリアをスタート。現在は順天堂大学医学部附属順天堂医院 整形外科・スポーツ診療科にて助教を務めるほか、羽田内科医院の副院長として地域医療にも携わる。
スポーツ医学を専門とし、トップアスリートから一般の患者まで幅広く診療。再生医療や関節鏡を用いた膝関節治療にも精通しており、格闘技イベント「RIZIN」では医療部副部長を務めるなど、競技現場でのサポートも行っている。現役時代の格闘技経験を活かし、患者に寄り添った治療を実践している。
 

「足を引きずっているよ」 知人のひと言で受診を決意

嶋田先生
私はもともと体を動かすのが好きで、数年前からは趣味でブラジリアン柔術にも取り組んでいました。でも、50歳を過ぎたころから、膝に少しずつ違和感を感じるようになったんです。最初は「ときどき痛むな」という程度で、ヒアルロン酸の注射を打ってもらっていました。でも、だんだん効かなくなってきて、平坦な道を歩くだけでも痛みが出るようになりましたし、階段の上り下りもきつくなってきました。特に下りがつらくて、手すりにつかまらないと一段ずつ降りるような状態でした。
 

羽田医師
膝の痛みって、ある日突然ではなくて、じわじわと進んでくるケースが多いんです。最初は「疲れや年齢のせい」と思って見過ごしてしまう方も多いですね。
 

嶋田先生
まさに私も「年齢のせいかな」と思っていたのですが、ある日、家内がママ友から「ご主人、足を引きずってるよ」って教えてもらったと聞いて、びっくりしました。自分では引きずっている自覚が全くなかったんです。そのひと言がきっかけで「これは一度ちゃんと診てもらったほうがいいな」と思って、病院に行くことにしました。

 

羽田医師
初めて受診に来られた際に診察とレントゲンの結果を見て、O脚がかなり進んでいる状態だとわかりました。膝の骨が内側に傾いていて、そこに負担が集中してしまっていたんです。膝の内側の軟骨がすり減っていて、これでは痛みが出て当然という状態でした。
 

嶋田先生
膝の痛みをなんとか軽くしようと思ってウエイトトレーニングのジムに通っていた時、インストラクターの方に「O脚気味ですね」と言われていたことがあったので、思い当たる節はありました。でも、まさかここまで悪くなっているとは思っていなかったんです。実際に画像を見せてもらって、自分の足の状態を知った時はショックでした。
 

羽田医師
膝の変形が進むと、注射や運動ではなかなか改善が見込めなくなります。痛みも強くなっていくので、なるべく早めにしっかり治療を考えたほうがいいと判断しました。
 

人工関節か 骨切り術か


羽田医師
診察のあと、治療の選択肢についてお話ししました。大きく分けて2つあって、ひとつは人工関節に置き換える方法。もうひとつは「高位脛骨骨切り術(こういけいこつこつきりじゅつ)」といって、膝足の骨の角度を整える手術です。これは、O脚によって傾いてしまった足の骨をまっすぐに近づけて、膝への負担を減らすというものです。
人工関節にすると、柔術のような動きを再開するのは難しくなる可能性がありました。嶋田先生が「また柔術をやりたい」とおっしゃっていたので、僕の中では「骨切り術が向いている」と思っていました。


嶋田先生
「骨を切る手術」と聞いた時は、本当に驚きました。それまで聞いたこともなかったですし「そんな手術があるのか」と。人工関節のほうが一般的なのかなと思っていたので、正直かなり迷いましたね。でも、やっぱり頭の中にはずっと「柔術を続けたい」という気持ちがあったんです。
実は一度、手術を受けると決めて入院の予約までしていたんですけど、直前になってやっぱり怖くなって、キャンセルしてしまったんです。「本当にやって大丈夫なのかな」と不安になってしまって。でも先生から「65歳までには決めたほうがいいですよ」と言われたことが、ずっと頭に残っていて。
 

羽田医師
当時、嶋田先生は62~63歳でしたよね。年齢的にも「いつやるか」というタイミングは大事になってきます。手術自体は高齢でも可能ですが、術後の回復やリハビリを考えると、筋力がしっかりあるうちに行うほうが、元の生活に戻りやすくなります。だから「65歳までには」とお伝えしました。
 

嶋田先生
その言葉が、すごく印象に残っています。「あ、そうか。迷っているうちに、タイミングを逃してしまうかもしれない」と思って。それでようやく腹が決まりました。
正直、僕はプロのアスリートでもないし、柔術も趣味の範囲。でも「じゃあ、年を取ったら何も挑戦しちゃいけないのか?」って思った時に「やっぱりやろう」と決めたんです。
 

キン肉マンがつないだ、患者と医師の距離

 


嶋田先生
最初に羽田先生とお会いした時にちょっと驚いたことがあって。先生の白衣の胸ポケットに、キン肉マンのグッズが刺さってたんですよ。よく見たら、キン肉マンのストラップで。「あれ? この先生、キン肉マン好きなのかな?」って思って(笑)。
 

羽田医師
そうそう。あれ、僕の院内用のPHSにつけてたストラップなんです。もともとキン肉マンが大好きで、ずっとつけてたんですよ。嶋田先生が来られるからつけたわけじゃなくて。
 

嶋田先生
うちの家内が最初に気づいたんですよね。「キン肉マンのストラップつけてる!」って(笑)。あれでちょっと気持ちがほぐれました。ご縁を感じたと言うか。
 

羽田医師
そのあと、実際に手術の日が近づいてきて、当日はかなり緊張されていたと思うんです。でも、僕なりに「なんとか安心してもらえたら」と思って、手術の日にキン肉マンに出てくる名医のキャラクター“ドクターボンベ”のTシャツを着ていったんです。
 

嶋田先生
あれ、ほんとにビックリしましたよ!手術室に運ばれる直前に先生が「僕、今日はこれを着てますからね」って見せてくれて。もうその瞬間に笑っちゃって、不安がすっと消えました。
 

羽田医師
あのTシャツ、僕にとってはお守りみたいなものなんです。自分が医師を目指した原点の一つがキン肉マンだったので。手術をさせていただくこと自体が、ある意味「恩返し」の気持ちでした。
 

嶋田先生
いやもう、あの時の先生の言葉とTシャツのおかげで「あ、大丈夫だな」って思えたんです。本当にありがたかったです。

 

一歩ずつの回復。階段も、電車も、自分の足で

羽田医師
手術は問題なく終わりましたが、そこからの回復がとても重要です。術後はまず松葉杖で歩く練習から始まりましたね。最初は少し苦戦されていた印象があります。体重を上手にコントロールするのが難しくて、歩くバランスが安定しませんでした。でも、ある時期から急に変化が出てきて、ぐっと回復が進みました。
 

嶋田先生
そうですね。術後は思った以上に動けなくて「こんなに歩けないのか」とショックでした。最初は10分歩くだけでもクタクタで、焦りもありました。でも「少しでもいいから歩こう」と決めて、妻や娘と一緒に近所を散歩し始めたんです。最初は数分でも、続けるうちに20分、30分と少しずつ距離が伸びていきました。
 

羽田医師
手術から1カ月も経たないうちに、電車で通院できるようになったのは本当にすごいことです。実際、その時期に公共交通機関で来られる方はほとんどいないので「これは順調に進んでいるな」と強く感じました。
 

嶋田先生
あの時先生に「よくここまで来られましたね」と声をかけてもらって、すごく嬉しかったのを覚えています。自分でも手応えを感じられたし「もう少し頑張ってみよう」と気持ちが前向きになりました。リハビリって、身体だけじゃなくて、心も大事ですよね。進んでる実感があると、それが支えになるんです。
 

羽田医師
ええ、表情もどんどん明るくなっていきましたし、リハビリに前向きな気持ちで取り組まれているのが伝わってきました。そういう気持ちがある方は、やっぱり回復も早いです。

 

「復帰OK」のひと言と、新しいジムとの出会い

嶋田先生
リハビリが進んで、先生から「柔術、そろそろやっても大丈夫ですよ」と言われた時は、本当にうれしかったですね。でも、当時通っていたジムがちょうどなくなってしまっていたんです。「どうしようかな」と思っていたんです。そんなとき、たまたまそのジムで一緒に練習していた仲間が、新しくジムをオープンするという話を聞いて、「じゃあ、行ってみよう」と思って足を運んでみました。そこで柔術の先生に「ちょっと入っていきますか?」と声をかけてもらって。いきなりスパーリングすることになったんですけど、思ったより動けたんですよ。それで「あ、これはいけるな」と感じて、その場で入門を決めました(笑)。


羽田医師
SNSでその様子を拝見しましたよ。スパーリングの写真を見た時「ああ、ついにこの日が来た」と心からうれしくなりました。僕の中で、嶋田先生の手術のゴールは「柔術に戻ること」だったので、投稿を見て本当にホッとしたんです。


嶋田先生
あの投稿に先生がコメントしてくださって、それを見てまたグッときちゃいましたよ。こうして柔術に戻れたのも、先生のおかげだと感じています。


羽田医師
本当にここまでよく頑張ってこられたと思います。最初は不安や迷いもあったと思いますが、しっかりご自身で向き合って、決断して、リハビリも続けてこられた。その結果が、いまの姿だと思います。


嶋田先生
やっぱり「またやりたい」という気持ちが強かったんでしょうね。
キン肉マンって、もともとは“ダメ超人”なんですよ。最初はヘタレで、すぐ逃げたり、ふざけたりしてばかり。でも、いざ本気になると、誰よりも一生懸命に戦う。ボロボロになってもあきらめずに立ち上がる。そういう姿に、僕自身もずっと励まされてきました。
だからこそ、膝の状態が悪くてうまく歩けない時期でも「絶対に復帰する」という気持ちだけはずっと持ち続けていました。転んだり、へこんだりしながらも「また柔術のマットに立ちたい」って思い続けていたんです。
 

正義超人のように、誰かのために向き合う医療を

嶋田先生
柔術に復帰できたことはもちろんうれしかったですけど、やっぱり「またやろう」って思える気持ちを支えてくれたのは、羽田先生のおかげなんですよね。単に膝を治すっていうだけじゃなくて、僕の「やりたい」という気持ちにちゃんと向き合ってくれたことが、本当に大きかったです。


羽田医師
ありがとうございます。僕にとっても、嶋田先生が柔術に戻れたというのは、すごく特別な出来事でした。
実は、医師として大事にしていることがあって「この人は何をしたいのか?」というのを、最初にちゃんと聞きたいんです。ただ「痛みを取る」「機能を戻す」だけじゃなくて、その先にある「またやりたいこと」「戻りたい場所」に寄り添いたいと思っているんです。


嶋田先生
それ、まさに僕が羽田先生から感じたことです。


羽田医師
そう言ってもらえるとうれしいですね。
実は、その考えの原点って、僕が昔から大好きだった『キン肉マン』なんですよ。


嶋田先生
えっ、そこにつながるんですか(笑)?


羽田医師
はい(笑)。
高校時代の話なんですが、ちょっとヤンチャだった時期があって。でも、キン肉マンの主題歌にある「心に愛がなければスーパーヒーローじゃないのさ」っていう歌詞を聴いた時に「このままじゃ自分は悪魔超人なんじゃないか?」って思ったんです。そこから「人のために行動できる正義超人みたいになりたい」って気持ちが芽生えて。結果的に、それが医師という仕事につながったんですよね。


嶋田先生
まさか、そんなエピソードがあったとは。でも、あの時のTシャツのことも含めて、すべてつながってる気がしますね。僕も、あのTシャツを見た瞬間に「この先生なら任せられる」って思えましたから。


羽田医師
ありがとうございます。僕としては「やりたいことに戻るための医療」をこれからも大事にしていきたいし、そのためには患者さんと一緒に進んでいく“二人三脚”、キン肉マンで言うなら“タッグ”の関係でありたいと思っています。医療って、そういうものであってほしいなと。

 

60代でもチャレンジできる。まずは知ることから

嶋田先生
膝の手術って、どうしても怖いイメージがあると思うんです。僕自身も最初は不安でしたし「柔術家でもない自分が、骨を切るような手術を受けていいのかな」って、正直すごく悩みました。でも、思い切ってやってみて、今では本当に良かったと思っています。
60歳を過ぎても、きちんと治療をすれば、また運動できるようになるんだってことを、自分自身が体験できたのは大きかったです。今では正座もできるようになったし、柔術も再開できて、漫画も元気に描けている。あの時踏み出していなかったら、今こんなふうには過ごせていなかったと思います。


羽田医師
膝の痛みを我慢しながら生活している方って本当に多いんです。でも実は、治療の選択肢はたくさんあります。骨切り手術に限らず、関節の再生治療やラジオ波治療、ヒアルロン酸注射、リハビリなど、症状に合わせていろいろな方法が選べます。
大切なのは「何を目指すのか」をはっきりさせることです。「医者にすすめられたから手術する」のではなく「自分はこういう生活を続けたい、そのために何ができるのか」と考えていただきたい。その想いに、私たち医師が寄り添って、一緒に道を選んでいけるのが理想のかたちだと思っています。


嶋田先生
スポーツをやりたい人、旅行に行きたい人、まだまだ元気に仕事を続けたい人……そういう思いがあるなら、我慢しないで相談してみてほしいですね。治療は怖いかもしれないけど、やってみたら思ったより前に進めるかもしれない。僕自身がその証拠だと思っています。
80歳、90歳になっても漫画を描いていたいし、柔術もできるかぎり続けたい。それが今の目標です。
 

 

 

対談のビデオは下記より視聴できます!

 

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